パイジェッロ~ベートーヴェン~シューベルト [声楽]
昨日の記事に書いたイタリア歌曲集の中にGiovanni Paisiello(パイジェッロ1740-1816)の"Nel cor più non mi sento(もはや私の心には感じない)"という曲があります。
歌詞は次の通りです、
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
Nel cor più non mi sento
もはや私の心には感じない(うつろの心)
Nel cor più non mi sento もはや私の心には
brillar la gioventù ; 青春の輝きが感じられない
cagion del mio tormento, 私の苦しみの源
amor,sei colpa tu . 愛よ、お前のせいだ。
Mi pizzichi , mi stuzzichi , お前は私を抓(つね)り突っつき
mi pungichi , mi mastichi , 突き刺し噛み砕く。
che cosa è questo , ahimè ? これはいったい何だろう、ああ。
Pietà , pietà ,pietà ! 憐れんでおくれ、憐れんでおくれ。
amore è un certo che 愛とは私を絶望させる
che disperar mi fa ! 何ものかだ。
(詩:G.パロンパ/訳:戸口幸策)
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
この歌曲は1789年にローマで「邪魔された愛L'amor contrastato」という邦題で初演され、翌年ウィーンで「美しき水車小屋の娘La bella molinara」として上演されたオペラの中のアリエッタです。
ベートーヴェンがピアノ用に変奏曲を書いていて、ピアノを弾く方でご存知の方は多いことでしょう。
パイジェッロはナポリ楽派の一人でペテルスブルグのロシアの宮廷の楽長を務めたり、のちにはナポレオンのもとで楽長を務めたり、活躍していたようです。
彼はオペラを100曲ほど作曲していて、ロッシーニに先駆けて「セビリアの理髪師 Il barbiere di Siviglia」を1782年に初演しています。(これはモーツァルトの「フィガロの結婚La Nozze di Figaro」を作曲させる契機になった作品のようです。)
この「美しき水車小屋の娘」・・・とくれば思い出すのはシューベルトの歌曲集「美しき水車小屋の娘Die shöne Müllerin」ですね。
パイジェッロとシューベルト・・・どう結びつくのか、長年気になっていましたが、やっとわかりました。
作詞者のミュラーは、ベルリン大学の学生時代の1816年冬に当時出入りしていた枢密顧問官シュテーゲマン家のサロンで行われた歌芝居がきっかけで詩を書き始めたようです。
18世紀末から19世紀初めにかけて、パイジェッロの「美しい水車屋の娘」がドイツ各地で大当たりをとり、水車小屋の娘との恋というテーマがひとつの流行になったらしいです。
ミュラー自身の失恋の痛手も重なり真剣に精魂こめて詩作したため、本来戯れの歌芝居のためのものであった詩に異様な迫真力が加わる結果となったようです。(シュテーゲマン家の歌芝居は、美しい水車小屋の娘が粉ひき職人、庭師の少年、狩人、地主の4人に懸想され、最後は粉ひき職人に好意を寄せるが結局は狩人になびくという筋立て。作曲はサロンの一員の作曲家ルートヴィヒ・ベルガーによる。)
シューベルトはミュラーのこの詩集を友人のところで見つけ、すぐに作曲したようです。
作曲した1823年当時、シューベルトは悪性の病気に悩まされ、創作力も衰えがちで、絶望的な気分を味わっていたようですね。










